337: 癒されたい名無しさん 2011/12/19(月) 21:20:46.28 ID:lRuHdBTw
668 名前:名無しさん@HOME[sage] 投稿日:2011/12/19(月) 20:56:56.54 0
書き捨てさせて。
結婚当初、姑と上手く噛み合わなくて、会うと気疲れしていた。
意地悪されたりはしなかったけど、気さくで良く大声で笑う実母に比べ
足を悪くするまでずっと看護士として働いていた姑は、喜怒哀楽を直接表現せず
シャキシャキ・パキパキ黙々って感じで、ついこっちも身構えてしまっていた。
何となく「私、あまり好かれてないな」と思う時も有って、当たり障りなくつき合っていた。
その年は、私が秋に二人目を出産した事もあり、混雑を避けて一月中旬に帰省する事になった。
そして早朝、今まで感じたことの無い揺れと衝撃を感じた。阪神淡路大震災だった。
朝釣りに行くという夫達の為に、お弁当と朝食を作っていた私と姑は立っていること出来ずに座り込んだ。
食器棚が空いて、次々と皿やグラスが降ってきた。
名前を呼ばれた気がして目を開けると、姑が私に覆い被さっていた。
私を抱きしめる腕も肩も頭もちが出ていた。
書き捨てさせて。
結婚当初、姑と上手く噛み合わなくて、会うと気疲れしていた。
意地悪されたりはしなかったけど、気さくで良く大声で笑う実母に比べ
足を悪くするまでずっと看護士として働いていた姑は、喜怒哀楽を直接表現せず
シャキシャキ・パキパキ黙々って感じで、ついこっちも身構えてしまっていた。
何となく「私、あまり好かれてないな」と思う時も有って、当たり障りなくつき合っていた。
その年は、私が秋に二人目を出産した事もあり、混雑を避けて一月中旬に帰省する事になった。
そして早朝、今まで感じたことの無い揺れと衝撃を感じた。阪神淡路大震災だった。
朝釣りに行くという夫達の為に、お弁当と朝食を作っていた私と姑は立っていること出来ずに座り込んだ。
食器棚が空いて、次々と皿やグラスが降ってきた。
名前を呼ばれた気がして目を開けると、姑が私に覆い被さっていた。
私を抱きしめる腕も肩も頭もちが出ていた。
337: 癒されたい名無しさん 2011/12/19(月) 21:20:46.28 ID:lRuHdBTw
夫と舅が子供達を抱いて台所に飛び込んできて、私達を廊下に連れだしてくれた。
歪んでなかなか開かない玄関ドアを開けると、街の景色は一変していた。
義実家はマンションの高層階だったが、エレベーターは止まり、階段にはヒビが入っていた。
呆然とする間にも、大きな余震が襲ってきた。
廊下の壁にも大きな亀裂が入り、揺れが襲う度に何かガラガラと大きな物が落ちていく音がした。
姑が「あなた達は早く逃げなさい!」と部屋に戻り皆の上着やマフラーを持ってきた。
泣きながら「あなた達って・・・お義母さんは?」と聞くと「後で逃げるから、良いから早く!」と恐い顔で言われた。
足が悪くて階段では逃げられない自分は、足手まといになると思っているんだと分かった。
夫が「母親を見捨てて逃げたら、俺はもう子供達に顔向けできない」と姑を背負おうとしたら
姑が夫をひっぱたいた「あんたの守るのは子供と嫁!産後で完全じゃない嫁を幼子二人を守ることだけ考えなさい!」
そしてちだらけの手で、私の髪を撫でて「ごめんね。帰省させなきゃ良かったね。ゴメンね」と笑った。
結局舅が姑を連れて、後から逃げると説得され、私達夫婦は子供二人と先に階段を下りました。
避難所で無事に再会出来たときは、安堵のあまり「おうおうおう」と言葉にならない声で抱きついて泣いた。
マンションは数日後に全壊した。
避難所で再会して気が付いたが、姑は家族の上着を持って来てくれたが自分はセーターにエプロンという服装だった。
初めから、皆だけ逃がすつもりだったんだと思ったら、また泣いた。
未曾有の事態に母乳が出なくなったり、出ても詰まったり色が変だったりで
痛くて脂汗を流しながら、マッサージをしていると、産婦人科にいた事もある姑が
「熱を持ってるね。痛いね。でも出さないともっと痛いから。代わってあげられなくてゴメンね」と泣きながらマッサージを手伝ってくれた。
避難所では「ブランクがあって、知識が古いけど」と看護士として働いて、まわりを元気づけていた。
あの時、赤ん坊だった下の子はもう高校生で、舅は既に他界した。
福島の震災をみていると、どうしても阪神地震を思い出してしまう。
同居の姑は、今も喜怒哀楽をあまり出さないけど、今では何を考えているかちゃんと分かる。
ありがとう、おかあさん。あの時のちだらけの貴方を忘れません。
歪んでなかなか開かない玄関ドアを開けると、街の景色は一変していた。
義実家はマンションの高層階だったが、エレベーターは止まり、階段にはヒビが入っていた。
呆然とする間にも、大きな余震が襲ってきた。
廊下の壁にも大きな亀裂が入り、揺れが襲う度に何かガラガラと大きな物が落ちていく音がした。
姑が「あなた達は早く逃げなさい!」と部屋に戻り皆の上着やマフラーを持ってきた。
泣きながら「あなた達って・・・お義母さんは?」と聞くと「後で逃げるから、良いから早く!」と恐い顔で言われた。
足が悪くて階段では逃げられない自分は、足手まといになると思っているんだと分かった。
夫が「母親を見捨てて逃げたら、俺はもう子供達に顔向けできない」と姑を背負おうとしたら
姑が夫をひっぱたいた「あんたの守るのは子供と嫁!産後で完全じゃない嫁を幼子二人を守ることだけ考えなさい!」
そしてちだらけの手で、私の髪を撫でて「ごめんね。帰省させなきゃ良かったね。ゴメンね」と笑った。
結局舅が姑を連れて、後から逃げると説得され、私達夫婦は子供二人と先に階段を下りました。
避難所で無事に再会出来たときは、安堵のあまり「おうおうおう」と言葉にならない声で抱きついて泣いた。
マンションは数日後に全壊した。
避難所で再会して気が付いたが、姑は家族の上着を持って来てくれたが自分はセーターにエプロンという服装だった。
初めから、皆だけ逃がすつもりだったんだと思ったら、また泣いた。
未曾有の事態に母乳が出なくなったり、出ても詰まったり色が変だったりで
痛くて脂汗を流しながら、マッサージをしていると、産婦人科にいた事もある姑が
「熱を持ってるね。痛いね。でも出さないともっと痛いから。代わってあげられなくてゴメンね」と泣きながらマッサージを手伝ってくれた。
避難所では「ブランクがあって、知識が古いけど」と看護士として働いて、まわりを元気づけていた。
あの時、赤ん坊だった下の子はもう高校生で、舅は既に他界した。
福島の震災をみていると、どうしても阪神地震を思い出してしまう。
同居の姑は、今も喜怒哀楽をあまり出さないけど、今では何を考えているかちゃんと分かる。
ありがとう、おかあさん。あの時のちだらけの貴方を忘れません。
☆調子にのんなよ!ブチギレ記事集(゚Д゚)ゴルァ!!☆
引用元: ・母の泣ける話ください
コメント一覧 (34)
地震怖いわ
福島の「このクソババァ」「なんだ鬼嫁がぁ」も好き
ご無事に避難できて何よりでした
本当にたくさん亡くなったもの
どうかこれからも仲良く、お元気でお過ごしください。
あの話も、お互い悪態つきながら心配しあってたんだよね
泣いちゃうよホント。
空気読まなくてほんっとすいません。
きっとそれぞれの方達のドラマがあったんだろうと思う。
知人はどうだったんだろうとあらためて考えてしまうと、涙が止まらない。
なんか知らんけど、規制?に合わせてかまとめサイトに転載するときに
ひらがなに変換されてたり表現が変わってたりするよ
それかも。まあ、6年前の書き込みに突っ込んでも仕方ないw
原文では行為の具体名がばっちり→ヤる みたいなの
元の文は漢字で書かれてるみたい
この話ははじめて読みましたが涙が出て止まりませんでした。
今もお元気で暮らしてらっしゃること心から願ってます。
別のまとめのNGワード変換したままコピってんだから仕方ねーだろ
本当にあのときは色々あったなって思う。
うちのおかんは大学は関西に出て、地元(中部)に帰省して
就職数年後に起きたらしいんだけど、倒れた道路の下敷きになってたところが
住んでた寮のところだったり、下宿があったところだったりで、驚いて頭が真っ白になったって。
実家は半壊で、家族で避難所にいた
数日後、もらい火で無人のまま全焼した
卒業式は大阪でした記憶、よく覚えてないけど友人と普段着で写っている写真がある
内定先の会社は無くなって、教授の世話で大阪で就職した
当時は地震後の火災では保険が降りなくて、半壊分の保険料しか出なかった
地震の後、避難所で誰かが「雪が降って来た」って言ったの覚えている
がれきの下になってる人たちが、いよいよ絶望的になっちゃう、って怖かった
助けに行こうにも、どこもかしこも立ち入り規制されていて何処にも行けなかった
私もこういうトメさんになりたい!
早くトメになれたとしてまだ15年くらいあるけど
神戸に親類多数いたので、あの次の日歩いて神戸に入った。
大阪から山越えたそこは倒壊した建物、火災の煙が立ち上り、そこここから安否を気遣う声や泣き声が蔓延していた。
夜また山を越えて大阪に戻ったらそこには日常があった。
車が行き交い街にはネオンが煌き普通の普通の人々がざわめきながら日常を過ごしていた。
今でもあのとき感じた無常観は忘れきれない。
こうしていい面が出た家庭も多いんだろうね
阪神淡路大震災の時は駅前の電光掲示板、見る度に千人単位でタヒ者数が増えていて怖かった。
ごめん、突っ込ませて。
大阪府の北の方に住んでたの?
震災の前日、神戸で一日遊んで、疲れたから泊まって明日帰ろうかと思ったけど、次の日に約束があったのを思い出して夜遅かったけど泊まらず帰った
そしたら早朝今まで感じたことのない揺れで叩き起こされて、テレビつけたらとんでもない光景が映ってた
もしあの日、神戸に泊まってたら、多分、無事じゃすまなかったと思う
何度でも泣ける。