930: おさかなくわえた名無しさん 2014/01/26(日) 21:37:08.28 ID:wZGWzicU
母の修羅場。 
父の家は、戦後間もなくに祖父が病シし、祖母が自営業で一人で二男二女を育てた。 
その祖母も脊椎カリエスを患い、高校を卒業した父が相続。 
治療費と弟妹の学費に追われ、とにかく金のない家だった。 
そんな中、末妹である叔母はとにかく緩い性質だったらしく、 
高校を卒業して間もなく家出し、無職男と大きな腹を抱え戻ってきた挙げ句、 
大型トラックを購入し、未保険のまま自損事故を起こして借金を押し付けるなど、 
とにかくやりたい放題で、母はそんな叔母を心底嫌っていた。 
もっとも、父母とも「子供の前で他人に嫌悪を向けるべきではない」という考えだったらしく、 
子供の頃は、そんな家庭の事情は知らずに育ったのだが。 
叔母は隣の市に定住し、毎年正月と従兄弟達の誕生日にやってきたが、思えば私自身は手土産もお年玉も一度も貰った事はなかった。


931: おさかなくわえた名無しさん 2014/01/26(日) 21:41:38.45 ID:wZGWzicU
時代は飛んで2010年春。父が病気手術・入院。
その際、叔母は一度たりとも見舞いにこなかった。
父は何も言わなかったが、「一応、知らせたんだがな」と、寂しそうだったらしい。
2010年冬。父の自宅療養も落ちついてきた頃、今度は母が初期体がんで手術になった。
その際も、やはり叔母は一度も連絡を寄越さなかった。
そして翌年3月11日。
父は、家とともに流され、翌々日、綺麗な遺体で見つかった。
母が高台の病院で一回目の抗がん剤治療を受けている最中の事だった。
未曾有の大災害の中、1週間後に母は退院し、母方の兄である伯父の家に身を寄せる事になった。
体の抵抗力が落ちている中、厳重に警戒しながら父の遺体の安置された中学校を訪れた母が見たのは、
遺体の確認をしている叔母夫婦の姿、そして財産の有無を問うてくる姿だった。
一ヶ月後、ようやく公共交通が復活し、子供である私が帰省できた時を見計らって簡単な葬儀を行った。
そこに叔母夫婦の姿は、やはりなかった。

932: おさかなくわえた名無しさん 2014/01/26(日) 21:43:24.56 ID:wZGWzicU
一瞬にして夫と家と仕事を失った母に、叔母夫婦から日を置かずに土地財産についての問い合わせの電話がかかってきた。
さすがに母と伯父の堪忍袋の緒が切れた。
どこまで人でなしなのだと話していた矢先、母のもとに一本の電話がかかってきた。
叔母夫婦がシんだというものだ。
震災から約半年。仮設住宅に入って間もなくの事だった。
叔母のシ因は肝硬変。叔父はその数日後に心筋梗塞を起こし発見されたそうだ。
身内の中には父が連れて行ったのではないかと囁く者もいたが、
母は、「冗談じゃない。あのお人好しはとうに上に逝っている。半年もこんなところをウロウロして他人を引っ張っていくなどするわけが無い」と怒り心頭。
あの震災は父方の親戚と屋敷類をほぼ全部引っ張っていった。
その事後処理がすべて母に回ってきている。母曰く、これが一番たいへんだったとのこと。
追記になるが、つい先日叔母の義息子が亡くなった。まだ40代だったのだが。

933: おさかなくわえた名無しさん 2014/01/26(日) 21:49:38.50 ID:WMp4N/jy
>>932
天国に行った貴方の父が、地獄に堕ちた叔母夫婦を連れて行けるわけもなし
今頃、叔母夫婦は地獄で獄卒に釜茹でにされたり針の山を歩かされたりしてる
真っ最中だよ




引用元: ・今までにあった修羅場を語れ 12


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