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タグ:癌
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医師A「癌ですね」父・母「検査もしないで見ただけで癌と断定するのはおかしい!(激怒」医師A「自分の診断は間違ってない!これだから老人夫婦は!」結果・・・
438: 名無しさん@おーぷん 2018/12/19(水)06:25:47 ID:PoH
父が先日できものができたので総合病院に行ったら担当した医師Aに
「癌です」と断言されたので父は当然だが母もブチ切れてAと口論になった。
その際父はAの年齢を聞くと30歳前と答えたので父は
「検査もしないし、こちらの話も最後まで聞かない。患部を見ただけで癌と
断定するほどお前は症例を見て来たのか!」
「年齢的に研修医の期間を終えて間もない医師が勝手に癌と決めるな!
検査した結果良性とか別の病気と分かったらお前はどうするんだ!」と
両親は納得もしないし、Aの態度が「自分の診断は間違ってない」という自信と
両親に「これだから老人夫婦(両親共に70過ぎ)は」と吐き捨てたのもアウトだった。
結局医師を変えてもらい診察をしてもらったが、それでも「癌の疑いがあるので検査をしてください」と
言われたので検査を受けて、今度は大学病院で今後の話し合いとなった。
検査の結果は初期段階の癌だった。
「癌です」と断言されたので父は当然だが母もブチ切れてAと口論になった。
その際父はAの年齢を聞くと30歳前と答えたので父は
「検査もしないし、こちらの話も最後まで聞かない。患部を見ただけで癌と
断定するほどお前は症例を見て来たのか!」
「年齢的に研修医の期間を終えて間もない医師が勝手に癌と決めるな!
検査した結果良性とか別の病気と分かったらお前はどうするんだ!」と
両親は納得もしないし、Aの態度が「自分の診断は間違ってない」という自信と
両親に「これだから老人夫婦(両親共に70過ぎ)は」と吐き捨てたのもアウトだった。
結局医師を変えてもらい診察をしてもらったが、それでも「癌の疑いがあるので検査をしてください」と
言われたので検査を受けて、今度は大学病院で今後の話し合いとなった。
検査の結果は初期段階の癌だった。
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129: 名無しさん@HOME 2017/01/15(日) 17:09:17.01
流れ読まずに投下。ごめんw
去年の2月、娘がシんだんだ。癌だった。
それを遡ること一年前に、ちょうど自治会役員が回ってきた。
娘が余命宣告を受けて3日後のことだった。
持って三年、早くて一年と言われた。
何も考えられなくて、とりあえず、それどころじゃないと自治会の役員に言った。
ちなみに、公団分譲の自治会だ。
その時はみんな事情をわかってくれて、それなら仕方ないと見送ってくれた。それが二年前。
それから一年後、再び役員の打診があったんだが、その頃にはすでに、
家族総出で緩和ケア病棟に毎日通っている最中だった。
電話でそのことを告げたら、
「ああ、一年経ったので、もう大丈夫かと思って」
とその年の役員の爺さんに言われた。
なんちゅうか、全身に鳥肌がたった。
グッとこらえて、まぁ、「治って」の意味かもしれないと、スルーしようと思った。
去年の2月、娘がシんだんだ。癌だった。
それを遡ること一年前に、ちょうど自治会役員が回ってきた。
娘が余命宣告を受けて3日後のことだった。
持って三年、早くて一年と言われた。
何も考えられなくて、とりあえず、それどころじゃないと自治会の役員に言った。
ちなみに、公団分譲の自治会だ。
その時はみんな事情をわかってくれて、それなら仕方ないと見送ってくれた。それが二年前。
それから一年後、再び役員の打診があったんだが、その頃にはすでに、
家族総出で緩和ケア病棟に毎日通っている最中だった。
電話でそのことを告げたら、
「ああ、一年経ったので、もう大丈夫かと思って」
とその年の役員の爺さんに言われた。
なんちゅうか、全身に鳥肌がたった。
グッとこらえて、まぁ、「治って」の意味かもしれないと、スルーしようと思った。
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224: 名無しさん@おーぷん 2018/02/18(日)19:41:27 ID:tOW
まじめに働きアリやっていると人生いいことも沢山あるな、とキリギリスを見てて思う。
自分語りの長文なので、煩わしいと感じる方は回避してください。
20歳で結婚して、翌年から四人の子を授かった。
夫は5歳年上で、私たち夫婦は今風に言うDIY好きが集まるサークルで知り合った仲。そんな私たちは結婚と同時に夫の祖父から空き家になっていた超激安中古物件を売っていただいて、今もセルフでリフォームしている。
子供たちが幼かったころは手形とか足形をとって庭のタイルに嵌め込んでみたり、長男が小学生の図工で作った「だいぶつ」(見た目お地蔵さん)を玄関先に設置してみたり、露天風呂作ったり好き勝手にやってる。
(サークル仲間に本職の方や引退した大工の方がいて、お知恵を拝借することもある。私自身元大工)
平凡に楽しく暮らしていたけど、私にはじめて癌が見つかったのは30の時だった。
以来、治療、再発、治療、再発と繰り返しながら育児をし、少しでも治療費のタシにしたくて在宅仕事ができる資格をとって在宅仕事をやるようになった。
癌治療は辛いことも山ほどあるけど、夫も子供たちも精一杯支えてくれたし、家族を残してシにたくないって必シに頑張ってきた。